空手 | 極真の百人組手とは、その目的と意義

空手 | 極真の百人組手とは、その目的と意義

空手……

特に極真空手において、

百人組手』という

文字通り100人と対戦する過酷な修行があります。

もっとも、修行というより、

イベントといった方が近いかもしれません。

しかし、

歴代挑戦者により、定義やルールはかなりあいまいですが、

その内容は凄まじいものです。

順を追って、その内容を見てみましょう。

スポンサーリンク




百人組手とは?

karate_hyakuninkumite04
出典:現代空手マガジン(昭和47年11月号)

1人の相手に対して、

100人が、1人ずつ決められた時間で入れ替わり、対戦するものです。

元々は、

海外派遣する道場生や、外国人道場性が帰国する時に行う、

歓送のようなものであったとのことです。

主に分裂前の極真会館で行われていましたが、

分裂後は、松井館長率いる極真会館のみで行われています。

ちなみに、

私は百人組手は目の前で見たことはありませんが、

極真の実力者の40人組手を拝見したことがあります。

第7回世界大会(現在の新極真会)優勝者の岡本徹氏のそれです。

40人組手でも凄まじいものがありましたので、

100人は想像を絶するものがあるのではないでしょうか?

karate_okamoto01
出典:yahoo.co.jp

百人組手の定義

karate_kyokushin_sohonbu01
出典:yahoo.co.jp

定義についてはかなり曖昧でしたが、

大山総裁により、

  • 本部道場での実施
  • 1日で行う

が百人組手の前提になりました。

ただし例外もあるようです。

百人組手のルール

ルールに関してもかなり曖昧で、

挑戦者によりバラつきがあります。

  • 直接打撃で行う
  • 勝敗
    • 一本
    • 技あり(技あり2つで合わせ一本、1つで優勢勝ち)
    • 優勢

が、固定ルールとなっています。

実施時期の違いとして、

  • 対戦時間が、2分・1分30秒・1分
  • 対戦者の下段蹴りの仕様を禁止
  • 握り棒の所持が対戦者のみか双方か
  • 足を掛けての下段払いを技ありとして認めるか
  • 休憩時間

が挙げられます。

対戦時間や休憩時間が異なるので、

どの挑戦者が優れているかというのは、

一概に判断できません。

百人組手の達成者

達成者 達成日 組手時間 所要時間 一本勝ち 優勢勝ち 引き分け 負け
ハワード・コリンズ(現・新極真会師範) 1972年(昭和47年) 2時間10分
三浦 美幸(現・三浦道場代表師範) 1973年(昭和48年)
松井 章奎(現・極真会館館長) 1986年(昭和61年) 2時間24分 4時間 46 29 13 12
アデミール・ダ・コスタ(現・勢和会代表) 1987年(昭和62年) 2時間55分
三瓶 啓二(現・新極真会師範) 1990年(平成2年)
増田 章(現・極真会館増田道場代表師範) 1991年(平成3年) 3時間20分 41 5 40 14
八巻 建弐(現・八巻空手代表) 1995年(平成7年) 2時間17分15秒 3時間27分 22 61 12 5
フランシスコ・フィリォ 1995年(平成7年) 2時間9分9秒 3時間8分 26 50 24 0
数見 肇(現・日本空手道数見道場館長) 1999年(平成11年) 3時間20分40秒 4時間4分 16 42 42 0
アルトゥール・ホヴァニシアン 2009年(平成21年) 2時間27分 4時間7分 2 47 39 12
タリエル・ニコラシビリ 2014年(平成26年) 3時間21分 21 43 27 9

完遂という意味では上記となりますが、

極真会館では、

タリエル・ニコラシビリ氏を

史上9人目の百人組手完遂者としているので、

三瓶啓二氏とアデミール・ダ・コスタ氏は、

記録としては認められていないのでしょう。

三瓶氏の場合は、

立会責任者の大山総裁が、

途中で退室してしまったため無効とあります。

また、休憩時間も長く、

1時間を2回取ったというのもあるのでしょうか?、

コスタ氏は、

実施がブラジル支部というのが、無効の理由です。

本部直轄道場の場合は、認められているようです。

アルトゥール・ホヴァニシアン氏とタリエル・ニコラシビリ氏は、

実施が本部直轄恵比寿道場でした。

唯一の例外としては、

現松井館長の待田京介氏のプロデュースする映画の撮影で

東映東京撮影所で行われたことです。

百人組手、未達成者

達成した人もいれば、

達成できなかった人もいます。

  • 大山 泰彦 1972年(昭和47年) 61人
  • 三瓶 啓二 1979年(昭和54年) 49人(1回目の挑戦)
  • 中村 誠 1979年(昭和54年) 35人
  • 三好 一男 1979年(昭和54年) 45人
  • 小笠原和彦 1984年(昭和59年) 43人
  • ザハリ・ダミヤノフ 2016年(平成28年) 70人

が惜しくも完遂できませんでした。

公式の記録では、

大山泰彦氏が初めての1日での百人組手の挑戦者です。

かつては百人組手の達成者だった

私が中学生の頃は、

大山総裁(当時は館長)の著書に

現在の達成者以外の方が、達成者として掲載されていました。

  • スティーブ・アニール 1965年(昭和40年)
  • 中村 忠 1965年(昭和40年)
  • 大山 茂 1966年(昭和41年)
  • ルック・ホランダー 1967年(昭和42年)
  • ジャン・ジャービス1967年(昭和42年)

定義にある通り1日での達成でないのが理由です。

なるほどとは思いますが、

それでも2日間です。

1日目の疲れを引きずっているのですから

凄いというしかないでしょう。

面白い掲載があります。

『現代空手マガジン(昭和47年11月号)』によると、

こんなことが書いてありました。

karate_hyakuninkumite05

出典:現代空手マガジン(昭和47年11月号)

大山泰彦師範の前のものですから、

まだ、認められていたのでしょう。

百人組手を終えたその後は

karate_hyakuninkumite02

出典:現代空手マガジン(昭和47年11月号)

百人組手完遂者の何人かが、

百人組手の達成後の感想として

「とにかく痛い、痛いだけ」と口をそろえて言います。

松井館長も、

「70~80人くらいからは相手に触れるだけで手足が痛くなる」

との感想です。

また、三浦氏は下記のコメントをしています。

「百人組で学んだものや得たものですか?
ない、ない(笑)。痛くて疲れてそんなこと考えている暇なんてないでしょ。
思考能力がなくなるんだから。

出典:Fight & Life vol.40 株式会社フィットネススポーツ

私も完遂者の一人に話を聞いたことがあります。

その方は、

第22回全日本チャンピオンで現在、

極真会館増田道場代表師範の『増田章師範』です。

「とにかく痛かった」とのことです。

完遂したことに嬉しさはあまり感じられなく、

その場はただただ休みたい、水を飲みたい、

それしか考えられなかったようです。

百人組手は達成しても、身体にとても大きなダメージが残ります。

脱水症状や全身打撲、肝機能の障害など、

ひどい例は、急性腎不全などにより入院をするケースもあります。

40人組手を達成した岡本師範も、途中から両腕が痛くなり、

厚手のアームガードを装着しています。

しかし、例外もあります。

フランシスコ・フィリオ氏は、

百人組手達成後も食事はいつもと変わらなかったそうです。

また、翌日には試合観戦もしていたそうです。

百人組手、こんなに過酷なことをやる意義は

karate_hyakuninkumite03

出典:現代空手マガジン(昭和47年11月号)

1人ずつとはいえ、

100人を相手に連続で組手を行っていくのは、

並大抵ではないと思います。

例えば、

実力の劣る相手でも、

それがライトスパーリングであっても、

1人で100人は一般的に考えて困難です。

では、

対戦者は手を抜いているのでしょうか?

手は抜いていません。

実際、完遂者より未完遂者の方が多い筈です。

また、

ここまで到達できるレベルになまじの手加減をすれば、

対戦者が危ういです。

ただし、

暗黙のルールがあると思います。

試合や道場の組手とは一線を画すものです。

冒頭でも述べましたが、

一種の儀式といったところでしょうか?

ですから、100人側に求められるのは、

『配慮』といっては言いすぎですが、

それに近いものであると思います。

何が何でも失敗させるという考えではなく、

相対し技をかけあい組手を通じ、

双方高めあうといった考え方です。

もっとも、

挑戦者より圧倒的に格下の対戦者は、

逆に手を抜かないかもしれません。

基本的に手を抜けるレベルは、

挑戦者と同等前後の実力がなければ無理です。

恐らく、

今の世の中で極限まで自分を苛め抜くことの

数少ない方法であると思います。

目的や意義が見いだせない、

という意見もあると思いますが、

全く無意味であるわけがありません。

私は三浦師範のこの言葉が、

社会において最も大切なことの一つであると思います。

学んだこと言ったら、出来ないことは無い、やってやれないことは無いってことかな?

出典:Fight & Life vol.40 株式会社フィットネススポーツ

最後に、師範の百人組手の後の状況で締めたいと思います(笑)

翌日になったらヒジとヒザの関節が曲がらなくなっていましたが、
病院にはお金がないから行けなかったので、放っておきました。

出典:Fight & Life vol.40 株式会社フィットネススポーツ