空手 | 訃報 極真4強として第3期黄金時代をささえた男 佐藤俊和氏

空手 | 訃報 極真4強として第3期黄金時代をささえた男 佐藤俊和氏

2018年2月3日

極真第8回全日本空手道選手権大会の覇者、

佐藤俊和氏が他界しました。

70歳、すい臓がんでした。

現、新極真会 秋田支部 本庄道場師範。

残念な知らせです。

スポンサーリンク




佐藤俊和 | 極真の猛者と謳われた現役時代

karate_toshikazu04

出典:拳の眼 極真会館主催 第2回世界大会プログラム2 (1979年)

佐藤氏の選手時代は、

と肩を並べ、切磋琢磨し、時には撃破もしました。

他流派から参戦した強豪、富樫選手(日本空手道無門会会長)も退けました。

『第5回全日本空手道選手権大会 佐藤俊和選手対富樫選手』
(sakabaable)

他流派選手を退けたものの、極真の竜 山崎選手には一歩及ばず。

『第5回全日本空手道選手権大会 準決勝 山崎選手 VS 佐藤俊和選手』
(sakabaable)

当時、極真会館の全日本大会では、

総本部出身の優勝者しか出ていませんでしたが、

佐藤俊和師範がはじめて支部出身で

全日本大会でチャンピオンに輝きました。

第8回全日本 ライバル二宮選手との支部出身同士の決勝戦 見事栄冠を勝ち取ります。
『二宮城光 VS 佐藤俊和    極真空手 (1976年)』
(sportnotv 1)

ダイナミックな直線的な動きが特徴で、

正拳突きや前蹴りを得意としていましたが、

第一回世界大会前のアメリカ遠征時に

ワンツーからの下段蹴りを自分のものにし、

外国人選手を苦しめ、その後の全日本で優勝を勝ち取りました。

相手選手を倒した後で、見下ろす鬼の形相が印象的です。

また、

佐藤勝昭氏とは特に仲が良く、ヨーロッパに指導遠征には、

「佐藤(俊和)君だけついてきてくれたら十分です。」と

当時の極真会館大山倍達館長に進言したそうです。

映画・地上最強の空手Part1の一コマで、第1回世界大会前です。

『【空手 形 征遠鎮(セイエンチン)】新極真会 佐藤俊和』
(武道を気ままに)

第1回世界大会4回戦 外国人の強豪、全日本準優勝の実績を持つコリンズ選手も撃破。

『激突! 佐藤俊和 VS ハワード・コリンズ  Toshikazu Sato VS Howard Collins kyokushin』
(kyokushin karate)

 

スポンサーリンク



 

佐藤俊和 | 極真4強、カムバック、そして引退

karate_toshikazu02

出典:拳の眼 極真会館主催 第2回世界大会プログラム2 (1979年)

圧倒的な圧力で対戦相手を退ける強さは、

極真第3期黄金時代、

大石代悟氏、二宮城光氏、東孝氏とともに

当時の極真四強と言われた時期もありました。

しかし、

若くして政治の世界に足を踏み入れ、

市会議員として活動する前後で、

空手から離れなければならないほど、

多忙な職務を全うしていました。

第2回世界大会には、ブランクの身体に鞭を打って

出場しました。

4回戦までは順調に勝ち進み、

次はウイリー・ウイリアムスとの一戦です。

当時ウイリー選手は、アントニオ猪木戦を控え、

ノリに乗っていた時でした。

ストップ・ザ・ウイリーということで、期待が高まり、

ブランクがなければ、かなりのところまで行くのではないかと感ました。

本線でウイリーの反則の掴みによる膝蹴りにも耐えましたが、

延長戦でウイリーの突きの連打で一本負けを宣告されました。

しかし、ダウンは拒否、倒れませんでした。

試合場を降りるとき、迫りくるマスコミを抑えたのが、

親友の佐藤勝昭師範でした。

現役を引退し、再起しここまでやってこれたことを称賛し、

全盛期なら絶対に負けなかったと主張しています。

俊和師範は、この試合をもって本当に引退をしました。

karate_toshikazu03

出典:拳の眼 極真会館主催 第2回世界大会プログラム2 (1979年)

佐藤俊和 | 最後に

佐藤氏は、他のライバルと比較して、

前蹴りなど得意技はありますが、

際立った特徴を持っているわけではありません。

しかし強い。

間違いのない重厚さがありました。

また、

人柄も申し分ないとのことです。

余談ですが、

親しくしていただいている知人(ある極真団体の幹部)が、

毎年、新極真の大会に招待されますが、

可能な限り、佐藤氏も同席されたそうです。

引退した佐藤氏のその後の活動ですが、

事業を行う傍らで、秋田県本荘市議会議員を7期務めあげました。

そして、

2017年の春まで、新極真秋田支部本荘道場で指導をしていたそうです。

その後体調が悪くなり、100キロ近かった体重が、

半年位で70キロにまでに落ちたといいます。

10年以上前に市議会の調査名目で、四国に赴いた時のこと。

途中、

「これから、松山に芦原先輩の墓参りに行ってくる。」

と高知の友人に語ったそうです。

芦原先輩とは、極真会館初代四国支部長で、

芦原会館』を創設した、芦原英幸先代館長です。

芦原先輩には本当に世話になったと、

佐藤氏は、立場も忘れるほど義理堅い一面を持った

素晴らしい方でした。

合掌

佐藤俊和の戦績

  • 1971年 第3回全日本空手道選手権大会 初出場
  • 1972年 第4回全日本空手道選手権大会 3位
  • 1973年 第5回全日本空手道選手権大会 3位
  • 1974年第6回全日本空手道選手権大会 5位
  • 1975年 第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会 5位
  • 1976年 第8回全日本空手道選手権大会 優勝